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ドガ

【エドガー・ドガ(Edgar Degas)】
●印象派
●1834年7月19日‐197年9月27日
バレエの踊り子の絵画で有名なドガは、優雅(ゆうが)な雰囲気をもつ絵画が多いですわや。人物の絵をかいとりますが、ドガは印象派に分類されとりまんねん。やけど、そやけどアンタ、絵の構図はこれまでの絵画の手法を取り入れてもおるねん。伝統的なもんと新しいもんを両方取り入れた絵を残してんドガは、バレエのシリーズ以外でもようけの作品を残してるんや。ドガは、絵画のように柔らかい優しい人物やったんでっしゃろか。

ドガのプロフィール

ドガは1834年にパリでうまれはりました。洗礼名はイレール=ジェルマン=エドガー・ド・ガスとええまんねん。画家になりよったときに言いやすいようにと簡単な「ドガ」に名前を変えたんや。 ドガは裕福な家庭で育ち、10代の頃は法律を学ぶための学校にいかされとったんや。せやけどダンさん、画家になりたい思ったドガは18歳で学校をやめてしまいまんねん。 ドガはジャン・アングルちう画家はドガのデッサン力の素晴らしさを見て、「線をようけ描きぃ」とアドバイスされ、その教えをずっと守りつづけたんや。
22歳からの3年間のドガはイタリアでルネサンス芸術を学ぶんや。この当時のドガは印象派やのうて、昔ながらの伝統的な手法で絵画を描いとったんや。パリに戻り、印象派のマネと知り合い、お互いに影響を与える存在になったんですわ。 ドガが本格的に絵画を売って生活をし始めるようになりよったきっかけは父の死やった。おとんが経営しとった銀行の負債を返済していくために、家や美術品のコレクション、ほんでオノレの絵画を売るようになりよったのや。

きょうびからのドガはどエライ内気で不器用な性格のため、周囲の画家からも敬遠されるようになったんですわ。ちびっとの友人との付き合いの中、ドガはバレエの踊り子を中心に描くようになるんですわ。一生独身で、晩年は視力の低下から失明寸前にまでなり、1915年にこの世をさったんや。

ドガの絵画の特徴

ドガは現在では印象派の画家に分類されとりますが、本人はそう呼ばれることを好きとちゃうかったようや。他の印象派の画家たちは屋外に出て絵画を制作したんやが、ドガは主にアトリエにこもって絵を描いとったんや。

ドガの絵画の特徴は、印象派にようけみられはる鮮やかいな色彩をメインにした近代化の部分と、古くさかいの技法やった写実的な手法を守り続けたいゆう両方の気持ちがあらわれとることや。 また、ドガは大胆な構図で絵画を制作してるんや。中心がずれとる構図や、画面の端で顔がきれてもうておる人物やらなんやらいろいろと試してるんや。こら、日常生活で目にしてん何気へん瞬間をきりとっとるような印象すらうけまんねん。構図だけでなく、ドガは油絵、パステル画、版画で表現するようになるんですわ。 これらの絵画は実際に見ながら描いたもんやのうて、ドガ自身の記憶をもとにして構図をちびっとずつ変身させながら描いとることも特徴的や。

ドガの有名な絵画

ドガの絵画ではずすことがでけへん代表はバレエの踊り子でっしゃろ。それ以外にも馬やパリの生活の一面を描いたもんが有名や。

■バレエのレッスン

舞台で踊っとるバレエの踊り子もおますが、この「ダンスのレッスン」は、バレエの練習風景を絵画にしてるんや。この絵画は遠近法をあんじょうとりいれ、赤い色を加えることで更に絵画に奥行きを持たせとりまんねん。この絵も何度もドガは描きなおしてるんや。パリのオルセー美術館におます。

■アイロンをかける女たち

パリの日常生活の一部が題材にしてん絵もようけ描いとるドガの絵画でも特に有名な絵や。2人のアイロンをかけるクリーニング屋はんの女性は、一人は一生けんめいに力をいれてアイロンをかけとりますが、一人は疲れてあくびをしてるんや。毎日仕事をしてんとこないな風景もあったんでっしゃろ。これらもモデルをおいて描かれとるわけやおまへん。パリのオルセー美術館におます。

■ロンシャン競馬場

あんまり外出せぇへんかったドガが興味をもって外の風景を描いたのが競走馬や。ドガは馬が走っとるシーンよりも、スタート前、緊張して静かになりよった画面を好んで描いとりまんねん。この絵もスタート前を描いとりまんねん。やけど、そやけどアンタ、現実の場面やのうてドガが記憶しとった風景と馬を構図に配置した絵画なんやこれがホンマに。ボストン美術館におます。 ドガの作品はパステルが使われとるもんがあり、保存がややこしい絵画でもおます。美術館側も照明を落としたり、ガラスケースにいれて保存しとったりしまっせ。 何度も同じ題材を描き続けとったドガはこないな風な言葉を残してるんや。 「同じ主題を10回でも100回でも描かなならへん」

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