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ロセッティ

【ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)】
●ラファエル前派
●1828年5月12日‐1882年4月10日
詩人なんやし、画家やったロセッティは新鮮な色彩が美しいことで有名や。ロセッティが描おった人の絵には、実は「ある特徴」がおます。それを知らんまんまに絵を見とるのと、知ってから絵を見ると、またちゃいますよ。「ああ、なるほど!確かにそうかも」思ってしまいまんねん。個性的でこの時代の絵画の風習の常識を気にするっちうことなく、絵を描きつづけたロセッティとはどないな画家でどないな人生をあゆんやんでしょうか。

ロセッティのプロフィール

ロセッティは1828年、イタリアからイギリスへ亡命してきた詩人のボウズとしてロンドンにうまれはりました。ロセッティは4人兄弟なんやけど、詩人や美術評論家、語学の研究者とロセッティも含め才能に恵まれた一家やった。
ロセッティ自身もおとんと同様に詩をよう書いとったんや。詩人になるか画家になるかを悩みつつ、17歳で美術学校に進学したロセッティやけど、そやけどアンタ、学校の授業は嫌いやったようや。
この美術学校で、ロセッティはハントとミレイに出会おりますわ。3人はそれぞれまるっきしちゃう性格で、画風もちごとったのやけど、美術学校の教え方に不満をもっとったちう共通点から親しくなったんですわ。
ほんで、当時のイギリスの美術界に生気があらへんんは16世紀の巨匠ラファエロからやと考えたロセッティたちは、それに反発するために「ラファエル前派(The Pre-Raphaelite Brotherhood)」を秘密に結成したちうワケや。

ほんで1849年にはPRBの署名を入れた『聖母マリアの少女時代』ちう作品を発表し、評判になるんですわ。せやけどダンさん、PRBの意味が世間にバレるとマスコミはロセッティたちをはげしく非難しましたわ。この時代、ラファエロは世界で最高の画家と考えられとったのや。その非難にショックをうけたロセッティは二度と公には絵画を発表せな誓ったんや。

このことがあってからロセッティは、ちーとの間油絵を描こうとせんと水彩画をかいとったんや。ほんで1850年代半ばには、ラファエル前派は解散してしもてまんねん 。

ロセッティは公に絵画を発表せんながらも、絵はよう売れとったので裕福な生活をしとったんや。そやけどアンタ、妻に先立たれたときに一緒に入れた詩集を数年後に掘り返して取り出したこと、妻以外の女性との恋愛やらなんやらがもとで不眠症になっとったんや。ロセッティは次第に健康を損ねていきましたのや。ほんで1882年にこの世を去ったんや。

ロセッティの絵画の特徴

詩人でもあったロセッティは最初のころ、女性の上半身以外をあんじょう描く事ができんとおりましたわ。そやから、ロセッティの作品には女性の上半身のみを描いた絵画が多いのや。
またロセッティは他のラファエル前派のメンバーが描く絵画のように、細部までの細かい描写をあんまり好まへんかったようや。背景や風景を細かく描くことを嫌っとったんや。
ロセッティは油絵といっぺんに水彩画もようけ残してまんねんが、彼は他の画家のように油彩と水彩の描き方を区別せんと描いとるのが特徴や。油絵を描く場合も水彩画のように絵の具を何層も重ねへんし、薄く塗っとるのや。

ロセッティの有名な絵画

ロセッティの絵画には女性がようけ登場しまっせ。ロセッティの絵画のモデルには彼が愛した女性たちをつこうておるねん。

■ベアタ・ベアトリクス

この絵画は1862年になくなりよった妻の思い出として描かれはりました。妻がなくなりよったとき、ロセッティは別の女性に気持ちが向いとったんやが、それを後悔してこの作品を描いたといわれとりまんねん。ダンテの作品をモチーフにしてるんや。ロンドンのテイト・ギャラリーにおます。

■モンナ・ヴァンナ

ロセッティの絵画の中でいっちゃん華やかいな作品で、衣装のゴージャスさがどエライ印象的や。女性の表情や髪の毛も丁寧に描かれとるのやけど、顔と身体のバランスが悪いことがわかるんや。ロンドンのテイト・ギャラリーにおます。
過去からの風習にしばられはることを嫌ったロセッティは、イギリス美術の改革を目指した画家やった。詩人であり画家やった彼は、絵画の中に詩的な雰囲気をかもし出しとったんや。
ロセッティと関係の深かった画家:ミレイ、ハント

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